出口王仁三郎の阪神淡路大震災予言

2011.12.22

月は盈つとも虧くるともというブログが、出口王仁三郎について非常にわかりやすく説明している。また具体的に的中した予言についても記載されているので、ここでその一部を紹介させていただく。具体的な予言とは阪神淡路大震災についての予言だ。以下、「月は盈つとも虧くるとも」からの引用である。(一部要約)

http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/1475874.html

霊界物語の「巻頭言」の中ほどに「第十八宇和島丸」という歌があります。そこに「神戸」「淡路島」と言うキーワードと共に地震や震災に伴う火事を連想する言葉が散りばめられています。

第十八宇和島丸(だいじふはちうわじままる)
船の今
神港波止場を出でむとし
惜しみ見送る八人乙女等
…中略…
東路の地のさわぎを余所にして
静かに浮ぶあはぢ島山
十二夜の月は波間に砕けつつ
火竜となりて海原に躍る
月寒く御空にふるひをののきて
星のまたたき清き海原
十二月十二の月影
浴びながら
水の御魂ぞ初渡航する
十二月十二の空に瀬戸の海
乗り行く火伏せ水の大神
…後略…

王仁三郎が当時発行していた機関紙「神の国」大正13年3月25日号
には上述の歌に示されている神戸港からの出港の詳細が記録されています

「伊予の道後温泉へ出立せんと神戸港を
はなれたときは甲子の新の一月十七日だった
この数字合わせて十八となる これは三六(みろく)の日数だ
波止場に見送る信徒は 男女合わせて十二人 随行六人
総計〆て また十八人となっていた これもやっぱり三六の数だ
乗込む船は第十八号宇和島丸の新船だ これも三六の数である
神戸立つ日は旧歴の 大正十二年十二月 十二日の三拍子揃い
これも三十六の数 やはり三六の発出船 三六成就の宝船
一考七人七福神の 気取りて進む波の上 高浜港に来て見れば
迎えの信者二十九人 一考七人合すれば やはり三六の数となる
道後ホテルに着いたのも やはり十八日だった
実にも不思議な三六の旅よ」

上記引用の中で、王仁三郎が神戸を出発した日は
甲子の新の一月十七日=新暦の大正13年1月17日であると
告げた後、その同じ日が、旧暦の大正12年12月12日でもあると
同じ年月日が新暦と旧暦で態々2回繰返し述べられています。

このブログを読む限りでは1月17日という日付が何度も繰り返し登場し、「神戸」「淡路島」、そして地震との関連付けが伺える。偶然と呼ぶにはありえない確率だと思う。

なお、今まで予言というものはもっと曖昧なイメージがあった。日付まで指定して的中させることは出来ないと感じていた。量子論の不確定性原理で、測定という行為自体が対象の状態に影響を与えてしまうようなこと。それと同じように予言したことで世界が微妙に変わってしまうようなことがある。王仁三郎はそれを回避するために、新暦の日を伏せるなどのことを行ったのだろうか。